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ソクラテスが好きだ。
もちろん本人に会ったことはない。
プラトンが対話編で描くところのソクラテスが好きなのだ。

ということは、僕が好きなのは、ソクラテスではなくプラトンかもしれない。
でも、わりとソクラテスも実像に近いのではないかと思っている。

哲学書というものを読んでみたい。だけど、買ってページを開いた途端に意味不明で閉じた、というような人には、ソクラテスはお勧めだ。

なぜなら、ソクラテスは必ず言葉の定義から始める。0から前提を共有し始める。
だから、どの本でも予備知識なしで入れる。

言葉の定義は、例えば「愛」という言葉だったりする。
その定義はたぶん僕らの日常語の語感とズレている。
だけど、そこでやめてしまってはいけない。
むしろズレに同調していくところから哲学が離陸する。

いわゆる西洋の哲学書の何割かは、大学の講義録であったりするから、定義についてそういう親切はない。
むしろいきなり未定義の専門用語がでてきて、驚かされる。
学者は、洋の東西を問わず、文章が下手で不親切なものだ。
(マスコミにでてくるのは説明能力が高い学者で、そうでない人がたくさんいる)
そういう不親切を乗り越えることは哲学とはじつはあまり関係ない。
でも、日本ではそういう不親切な堅さを噛み砕くことが哲学の味だと思われている節がある。
しかし、それは違う。

逆に口語でわかりやすく書いた解説本というのも一面的で気持ち悪いし(いい本もあるんだろうが)。

その点、ソクラテス(プラトン)は、自分自身で最初から読めて、ついていける。
哲学を読む筋肉をつけるにはいちばんいいのだ。

泳ぎを覚えるのと同じで、最初のうちだけちょっと我慢してついていくことだ。

ソクラテスは対話を通して真実を明かしていくところに特徴があった。だから、プラトンの本はあっても、彼自身の著作は残っていない。

で、僕も昨日、ソクラテスにならってツイッターで対話をしてみた。(なんだそれが言いたかったのか)。

togetterにまとめたら、12時間で1,000近いviewがとれたので、もう少し煽ってみたくなった。

「なぜあなたは小説を書きたいのですか」をめぐる師弟問答」togetter.com/li/549262

僕の問答はソクラテスのようにきちんと定義していない。
むしろ隙間だらけで飛躍しているところが自分で気にいっている
ソクラテスの問答は論敵を倒すためのものだが、僕のは弟子を刺激して次のレベルに思考を移行させる目的のものだ。
だから飛躍的でいいのだ。

僕の最初の問いに彼女は2年間考え続けてきた。
その濃厚な時間があったから、この飛躍について来られたと思う。
そういう感じの隙間が面白いと思う。

文章の先生は一時期僕の職業に近いものだった。
昔から僕を知っている人には、SBAよりそのときのほうがよかったと思っている人も多いのではないかと思う。

でも、僕は文章というジャンルの小部屋からヒーリングという小部屋に移ったのではないんだ。
壁をぶち抜いてワンルームにしたんだ。
そのワンルームには、文章を始めとする表現、芸術、哲学、身体、心理学、医療、教育などすべてが入っている。
そういう広がりを理解してもらうのに時間がかかる。

文章を教えていた頃のことは、いまカウンセリングで全部生きている。

ソクラテスが好き

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