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身体は一つの輪郭で囲まれた領域である。

図式化するには、紙に人の形、あるいは円形を書いてみてもいい。

これで内と外が分かれる。
人が生きていることは、ここに空気や食物、言葉、情報などさまざまなものを出し入れすることに他ならない。

生命活動に有用なものを取り入れ、身体内でさまざまな転換を行い、不要、有害なものを排出する。

これを継続していくシステムが生命である。

こういう単純なことが基本だ。

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シンクロームは身体に触れない技法だが、最近、興味があって個人的に親しい人には軽く触れてみることがある。

すると、そこにさまざまな情報、記憶が蓄積されている。
歴史が刻まれているといってもいい。
凝って堅くなっている部分はたいへん頑な感じがする。そこにいろいろな辛い想いが詰まっている。
記憶はある部分身体に蓄積されるのだ、ということが体感された。

やがて、これはどのようなメカニズムか理解されてきた。

たとえば、人の心ない言葉がネガティブな衝撃を心に与えたとする。
それが10のエネルギーで、心がいっぺんに処理できる能力は2しかない、ということがある。処理能力を上回る、残った8はどこに行くか。

最初に言ったように、身体はくっきりと区切られた領域であるから、その中に入ったものは、空気中に消えてもらうわけにはいかない。
その8は身体に蓄積されるのだ。

筋肉の緊張、血管の収縮、内臓の圧迫、神経の昂揚、消化器の活動低下のような表現で全体に身体は不活性になる。
防衛的な緊張が走るとみるみる肩がぎゅっと上に上がるのを観察することがある。

心が受け止めるべきことを身体が受け止める。
これは分割払い、カードでいうとリボルビング払いのようなものだ。

一時の衝撃を、とりあえず、身体というタンクに逃しておいて、余裕のあるときに小出しに消化、返済していく、という安全機構なのである。

ところが慢性的なストレス環境にあると、これが安全機構ではなく、単なるゴミためになってしまう。
返済が終わる前に次の借り入れを重ねてしまう。
一度も精算されることがない。
借金がかさみ借り入れ限度額に近づく、つまり身体のキャパシティがいっぱいになると、身体はさまざまな不調という形でそれを表現しだす。

多くの人は、それを薬品によってねじ伏せようとする。
薬品は一時的に症状を消すものであるから、身体の訴えを黙らせる。しかし、借金も借金体質も変わっていない。

このような身体の借金は心的な要因のものばかりではない。さまざまな肉体的な負担もあるが、それについては多く語られている。

この文章のテーマは心的なものが、身体に蓄積するということである。そして、病気の原因もじつはかなり心的な借金体質にある。

もう一度、原理的な話に戻ると、人が10の生命力を持つとすると、それを9消費していれば、1は治癒や回復、借金の返済に当てられる。
しかし、11消費していれば、日々1ずつ借金がかさんでいって、症状は悪化する。やがて病気という表現をとって、強制的に日常活動を休止させる。
シンクロームがメールでカウンセリングするのもこのためだ。
まずエネルギーの消費を10以下におさえなければいけない。
回復のエネルギーの余剰があるから、それを上手に使うことができる。

人はたいへんな浪費家なので、1つの生活習慣を変えれば、大きく節約できることが少なくない。
たとえば、夜遅くまでネットやゲームをしているのをやめると、ここの比喩でいうと、1か2くらいの節約になる。

そういう単純なものとして、自分の身体を観察すれば、自分の身体を自分で管理する考えを積み重ねられる。

身体がいつ病気になるかわからない暗黒大陸のように感じている人もいるかと思うが、身体は不条理に症状や病気を出さない。

不条理なのは身体に理不尽を押しつけ続ける人の心のほうだ。

 

 

記憶は身体に蓄積する