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▪️原因

 

γ-GTPの数値が1500にもなった原因を書いておこう。

主な原因は推測するに疲労の蓄積と暴飲暴食である。

 

暴飲暴食の悪癖は、いまに始まったことではない。

では、なぜ今か。

三つ思い当たる。

 

一つは年齢的なシフトである。

いわゆる「無理が利かなくなった」状態に同じ負荷をかけ続けたということだ。

 

酒は現在明らかに弱くなっている。

というか少量でも酔えることを発見した。

それでも楽しく話が弾むとつい飲み過ぎるが、この肝臓事件以降、回復してからは全体としてはセーブされている。

そういう転回点だった。

 

二つ目の原因は「一人呑み」の習慣がついたことだ。

もともと飲んで友人とあれこれ談論風発するのが好きなので、一人では酒を飲まなかったのだ。

最近、その味を覚えた。

一人酒も慣れるとそれなりの面白みがある。

 

友人と飲むのは機会を探し、調整しないといけないが、一人呑みはいつでもできるから、満遍なく毎日飲むことが可能だ。

それだけではない。僕の感覚では、夕方一人呑みして、その後間をおいて晩酌をするのは、とても内臓への負担が高い気がしている。

 

残業をしている社員がようやく作業のヤマが見えてきたと思ったときに、新しい仕事をどさっともらったらやる気をなくすだろう。

 

そういう意味では、一日に二回飲むのは、ひょっとしたら呑み続けるより悪いかもしれない。

そんな感覚がちらりとあった。

 

三つ目は、蓄積である。

身体は相当弾力的に無理を吸収してくれる。

無理が借金だとすると、吸収しておいて余裕のあるときに「返済」する。

 

でも、たいていは10の借金のうち8を返済した頃にまた次の無理がくるから、いつも2は根雪のように残っていく。

 

この慢性化した無理、借金は日常では返済されない。

ときどき大きく体調を崩して休むことで精算する。

 

そのツケを払う時期が来たのだ。

 

・年齢的なシフト

・一人呑み

・蓄積

 

という三つの原因を思いついた。

 

年齢的なシフトは、食生活、呑み生活を反省する機会になった。後述するが、食生活の改善で体重も10キロ近く減った。

 

一人呑みは少なめにした。また一人呑みと晩酌を重ねることには用心している。

 

蓄積は、これは仕方ない。

まとめて精算したので、しばらくは貯めないようにする。

 

このように生活を改めて受け止めた。

 

▪️身体のことを自分で考える

 

医者はよく健康について病気について「素人考えは危険だ」という。

医者に洗脳された人々も、素直に同じことをいう。

 

医者だけが知り、医者だけが考え、医者だけが正しいという考えだ。

自分の身体のことを自分が知らないし、考えないのはおかしくないだろうか。

 

たとえば、財産の運用でも、たしかに運用の専門家はいるだろう。しかし、自分で調べたり考えないで金をすべて渡し、丸投げしてしまえば、だまされてやがて財産を失うだろう。

 

あるいは家の設計でも、どんな家に住みたいかというイメージがあって、業者や設計者を探すだろう。

なんでもいいから家を建ててくれ、と丸投げしたら満足のいく家は立たない。

 

身体のセルフ・ディフェンス、自衛という発想があって、そこから専門家を利用するようにしないといけない。

 

なぜ医療だけがこのような専門家の独占体制になっているのか。それは国家をあげて長年そういう政策を取っているからだ。

医薬品関係から大量の広告費が流れるマスコミも完全にそういう情報や思想一色になり体制の一部となっている。

国民は否応なく洗脳されてしまう。

 

まあ、そういった全体の批判はさておき、わたしは自分で自分の身体のことを推理したの考えたりするのが大好きなのだ。

シンクロームのメールのやりとりでも、相手の不調の原因をあれこれと考える。そういう経験が蓄積している。

 

その経験からいうと、身体は理不尽なことはしない。

よくドラマでは御都合主義的にヒロインが死に至る難病にかかったりするが、何の理由もない病気というものはない。

 

もちろん因果関係がすべてわかるというものではないが、わからないからといって原因が存在しないわけではない。

物理の世界で原因と結果が結びついている。人の身体内も例外ではない。むしろ限定された領域であるから、考えやすい。

ただ身体の内部は流動的であり、無数の要因が結びついている。白黒はっきりできる一つの要因に還元できるとは限らない。

 

いくつかのグレーの要因が重なり合っていることのほうが多い。

 

わたしの場合は、基本的に薬を飲まないから、わりと因果関係がわかりやすい。

自然な状態の身体ではこのような因果もそれほど複雑ではない。

 

しかし、薬品に浸かった身体はそうではない。

 

たとえば、発熱したときに解熱剤を飲んでしまうと、本来身体が発するべき熱はどこに行くのか。何のために身体は熱を出そうとしたのか。身体に入った薬剤は長期的にどのような作用を及ぼすのか、などなど、計算しきれない要因がいっぺんに増えてしまう。

 

シンクロームは薬品という人為に頼らない身体の自然な運用をサポートしたい。

 

薬を飲まない人、飲んでいてもやめたい人、なるべく頼りたくない人に依頼してもらいたい。

減薬の途中であればいいが、薬品に依存しつつシンクロームを足し算というのは、なかなか効果の測定も難しいのである。

続く

薬を飲まずに2カ月でγ-GTPが1500から50に下がる/3 原因