■肝臓という臓器
肝臓について書いてあるものを調べているとき、どこかに「トカゲのシッポのような再生能力がある」と書いてありました。
これはとても安心感があります。
一部を切り取ってもまた生えてくると書いてあったと思います。
しかし、その再生能力も炎症、いわゆる肝炎、あるいは肝硬変というようなものになるとほとんど失われてしまう、と医学ではなっているようです。
わたしはこの肝臓の変質の有無が非常に重要と気になっていました。炎症を起こしていれば大好きなお酒ともお別れになるかもしれません。
個人病院に行ったので、エコーとMRの検査には他の病院に行き、結果がわかるまで2週間強かかりました。
なにもでなかったときはほっとして、これで大丈夫だと思いました。
肝臓は「沈黙の臓器」と呼ばれています。
スティーブン・セガールの映画ではありません。
「胃が痛い」「腸がゴロゴロする」などの自覚症状、感覚がないままに悪くなるからです。
それだけ我慢強く、弾力性があると言えます。
わたしの場合は、最初に消化にダメージがあり、そのあと、眼に黄疸がでるという形で表現してくれました。出た時点で対応すれば許してもらえたので、幸運と言えましょう。
いつも身体の声を聞いているからです。
症状がでるたびに薬を飲んでいたら、感度は鈍ってくると思います。
この肝炎の数値を下げるのにわたしは薬を飲みませんでした。
次にその話を書きます。
■薬を飲まないこと
肝臓の数値は異常に高かったのですが、薬には抵抗がありました。
そもそも嫌いなのです。
そして、肝臓が薬で治る、という理屈がよくわからなかったのです。
数値は下がるかもしれませんが、それは身体の力ではなく薬の力です。
薬に頼れば身体の力は衰えます。
たとえば、消化薬というものがあります。
胃腸が疲れていて消化が悪いときは、身体が「食べないで」という信号を出しているのです。
1日くらい食べなければだいたい回復します。
消化薬を飲んでしまうと、身体の「食べないで」を無視して仕事をさせることになります。
一回や二回は大したことないと思うかもしれませんが、無理は身体に情報として蓄積するのです。情報として、というのは、薬品の痕跡が身体から消えることはないということです。
Aという身体がA2という状態に移行します。
薬を飲まなかったAという身体と同じ軌道に戻ることはないということです。
これはアイスクリームを食べても、大福を食べても同じですが、それは大した影響はありません(砂糖の毒をいう人もいますが)。薬は、食品ではなく「身体に影響を及ぼす」物質であるから、甚大な影響があります。
しかし、身体の偉大な弾力性が吸収しているから、日常的な薬は問題にされないのです。
薬がない身体をAとしますと、1回飲むとA2、2回飲むとA3、3回飲むとA4……と移行していくのです。これは薬の成分がどこかに蓄積するという話とは違います。したがってそのような分析にはひっかからないものを仮に「情報」の蓄積という言い方をしてみたわけです。
さて、消化薬を飲むことが日常化しますと、身体はどうするでしょうか?
消化液や酵素を出さないことで内臓を休めようとしているのに、さらに食べ物が入って来て仕事をさせられてしまう。
すると、さらに消化液を出さないようにします。
そうすると近頃、胃腸の具合がさらに悪い。消化薬を飲んでも効かないということになります。
消化薬の量を増やすか、より強い薬を飲むようになります。
このようにして自然な身体Aからどんどん離れた身体になります。
それでもなんともない場合があるのは、身体の恒常性維持機能がたいへん高いからです。
しかし、身体に蓄積されている以上、いずれツケが回ってきます。
そういうわけで、「肝臓を助ける薬」は緊急の場合にはあるいは必要かもしれませんが、わたしは飲む気がしませんでした。
念のため、ある方法で薬物が身体に合うかのチェックをしてもらい(Oリングテストではありません。誰でも受けられるわけでなく、説明も面倒なので省略)、「一錠でも否定的な反応が出ている」ということだったので、思い切って全部捨ててしまいました。
2回目に薬を出されそうになったときには、「薬嫌いなので飲みたくないです」と言って拒否しました。
言い出すのはわたしでも少し緊張して勇気が要ります。
前にも断ったのですが、お医者さんは「鳩が豆鉄砲喰らったような」顔をします。
あの様子では断る人は100人に1人くらいしかいないのかもしれません。
勇気がある方は試してみてください。
いよいよ次回は、数値を下げた秘策の数々を公開します。
読者はそこにいちばん興味があると思います。
引っ張ってすみませんが、ここまで書いて来たのも大切なことなのです。
続く