先日のSBAセミナー、演劇やダンス、パントマイムなどをされているカップルが参加されていました。
面白かったのは、ネジを抜いてもらったときの二人の体感がたいへん具体的だったことです。
「ぼあっとなんとなく暖かくなるのもあるんだけど、ぴりぴりっと来たり、中まで触られているなとはっきりわかるのがある。人によって違うね」
僕のは全体に圧力が高くいちばん強かったそうです。毎日やっているし、理論もいちばんわかっているので当たり前ですね。
今まででいちばん強い反応は「痛かった」というものがありました。もちろん全く手を触れていないのです。
それから「シャツの背中捲くってないよね?」と確認されたこともあります。
なんかそういう体感があったようです。
体感が具体的であるほど効果があるということは経験的に言えます。
このカップルの体感がはっきりしているのは、パントマイムなどをやられているからだと思います。
パントマイムは虚空にないものを作り出す。ないものから物語や世界を作り出す。
そういうことをふだん扱っていると、SBAと親和性が高いのです。
僕もSBAを始めるに当たって、ほんの少しだけパントマイムを習い、観に行きました。とても面白いものですが、まず何をしているかがはっきりわからないと観客にフラストレーションが溜まってしまいます。
想像以上に多様な表現が可能なのですが、個別の表現はつねに具体的でなければならない。芸術領域としては、そこに最終的には縛られてしまうような気がします。
それを乗り越えて自由を垣間見せるのが天才でしょうね。
鈴木忠志という演出家が、「演劇的身体」ということを言っています。それと同一の定義ではないでしょうが、たしかにそういう身体があります。
それは自律して動く完結した体系であり、現実とは違う一つの次元に対応した身体なのです。
これを僕は多層的身体と呼んでいます。
演劇的身体だけではなく、多くの身体があります。
多層的身体を多くの人が読み解いたり、応用したりするようになれば、新しい一つの文明が生まれます。
SBAはその一例であり、先端なのです。
演劇観も、演劇的身体を作り出し、それを十全に展開することを目的とすれば、見え方が変わってきます。
それを純化していくと、演劇は再び「神様への捧げもの」に還っていくでしょう。
象徴という体系の意味がもっと深まって行くことになります。
しかし、今はまだそれを詳論する時期ではありません。「内なる人」や「多層的身体」をベースにした演劇論や芸術論も面白いですが、僕はSBAで手一杯なので、各論はそれぞれの分野の人にやってもらいたいのです。