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麻生発言であれこれナチスにまつわる記憶がでてきた。ナチスの世界は「深い」ので、僕はよく知らない。
でも知らないなりに、話したいことが浮かんできたので書いておく。

知り合いのオカルト系編集者で「ナチスがしたこと、しようとしたことは正しい」と広言(主に飲み屋で)してはばからない人がいた。

ヒトラーが占星術を指針にしていたのは有名だが、それ以外にもオカルトの世界では、ナチスの背後にある思想だの、人脈、組織だのについて、掘るといくらでも話が出てくる。恐ろしくも興味深い、そして半分くらい眉唾もの意外な真相というヤツだ。

その世界に入ると、表層的に「ナチスはユダヤ人他少数民族を虐殺した」、「悪いに決まっている」というヒューマニズムとは違う視点がでてくるようで、彼はそういう情報を自分なりに咀嚼編集して「ナチスは正しい」という彼の理屈に至ったようだ。

僕はとても賛成はできないが、議論をするほど自分自身の意見や知識を持っていない。世間並みの「ナチスは悪い感じ」しかないのでお説を拝聴したのだが、もう忘れてしまったということは大して腑に落ちなかったということだろう。
ただ、こういう意見もあり、こういう人もいるんだなと思った。

今回の麻生発言でも、ナチスはいい政策もしたぞ的な知識をひけらかすネット上の意見もあり、ものには善悪両面あり、ナチスといえども絶対悪ではない、という見方もちらりと見えた。

日本にしてそうであるから、ヨーロッパでも同様の人々はたくさんいるに違いない。
一部は過激なネオナチとして突出する。そうして目に見えている部分はまだいいが、隠然たる勢力として根を張っているかもしれない。
それがいつ地上に露出してくるかわからない。
つまり、ナチスは、まだ一部に魅力的な磁極である。
これが何かの拍子に力をつけると、再び勢力を持ち、支配的なレベルまで台頭してくるのではないか、というのは、ヨーロッパ人、とりわけユダヤ人にとってはかなり具体的な恐怖であると想像される。

ヒトラーのクローンなど、ナチスの強い遺伝子を持つ人物やシンボルの台頭をめぐるサスペンス小説などもたくさんある。
そこにあるのは恐怖なのだ。

ユダヤの組織は、ナチスの戦犯追及にたいへん執拗だ。必ず探し出して根絶やしにする。
そうでなければ自分たちが殺されるという恐怖があるからだ。
そこには、何のユーモアもない。
少数民族にとっては、ナチスが完全な悪でなければならない。少しでも手をゆるめれば再び世界を支配して、善にひっくり返ってしまうかもしれないのだ。
勝てば官軍と言われるように善は勝者のものだ。

日本のように敗戦国でありながら、戦犯を靖国神社に祀って、首相や大臣が公式参拝するような国は特殊であるといわなければならない。

ウヨな人々の間では、「南京大虐殺はなかった」ということが一つの主要な主張であるようだが、文芸春秋の雑誌『マルコ・ポーロ』では同工異曲の企画として、あるとき「アウシュヴィッツはなかった」(僕の記憶ではこのタイトル)という恐るべき記事を掲載した。

この記事は海外の雑誌の転載であったと思う。どこにでも歴史に対する修正主義はあるものだ。
この記事の掲載はユダヤ人団体サイモン・ウィーゼンタール・センターの知るところとなり、その結果は、その号は回収、雑誌は廃刊、編集長は更迭(雑誌がなくなるのだからね)という次第になった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/マルコポーロ_(雑誌)

文春という会社は、ちょっとした抗議など「カエルのつらに小便」といった態度をとるところだろうが、この雑誌ばかりは瞬時にして潰れた。
広告筋からのよほど厳しい抗議があったと言われている。
こういう場合、当該の雑誌だけではなく、文春の雑誌全体からの広告引き上げを示唆されただろう。

そのようにユダヤ対ナチスの構図には何のユーモアが入り込む余地もない。
今回もサイモン・ウィーゼンタール・センターがすでに抗議をしている。麻生発言の真意がどうであるとかの国内の擁護的議論は、たぶん全く通用しない相手だろう。

僕なども忘れかけているが、日本はナチスドイツのかつての同盟国なのだ。表面的な抗議だけでなく、それこそ、「真意」がどこにあるか、という厳しい調査が始まっていることと思う。
日本の右翼的な人脈がナチスの信奉者の人脈と何らかのつながりがあれば大事だからだ。
麻生氏はそういう虎の尾を踏んだ。

僕は自民党にも麻生氏にも何のシンパシーもないから「ああ、やっちゃったよ」と思うだけだけどね。
意外にいつもの失言のように軽症では済まない可能性もあると思う。

麻生ナチス発言に思い出すこと

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